私は新月の日に生まれた、闇の子だと母親から聞かされた。
闇より生まれた子だなんて、とんだ青少年が好きそうな名前ではないだろうか?
闇より生まれた娘。
闇がより一層深まり始めた夜のこと。
そういった意味を込めて【イツヤ】と私は名づけられた。
……かわいい娘に名づけるような名前だろうか?(今はそういった可愛いなんていわれる年齢ではないが)
どちらにしろ、この名前はそれなりに気に入っている。
いや、私がそういった青少年が興奮する物語に恋焦がれる嗜好というわけではない。
夜型人間だから、に凝縮される。
私は夜が好きだ。ただ、気に入ってるとはいえ名前とは言えどうだろうか、という話である。
そして、闇が深まった、という名を私につけるのは、あながち間違いではない。
私が生まれた国は、決して裕福ではない。
地形の関係で荒れた海に、荒廃した大地は栄養が足りず、作物は育たない。
隣の大国のゴミやよごれた空気、砂が流れ込む。
必然的に軍事国家となり、大国に媚を売りながらも周囲の国を脅しながら生き延びる日々。
一部の軍人だけが裕福となり、下層民である農家の村は貧しい暮らしを強いられていた。
育たぬ作物と大地に立ちすくみ、軍人や国からは作物を育てよという重圧をかけられる。
せめて働き盛りの男ならともかく、女はなかなかに歓迎されない。
そんな家族事情である。仕方が無いといえば、確かに仕方が無い。
……間引きされなかっただけでも、私はましなほう、だという。
そういわれればそうなのだろう。事実を確認する方法を私は当時持ち合わせていなかったから、納得するしかない。
何はともあれ、そんな子供時代。愛想などよくなるはずも無かった。
寧ろ、私の育った集落では愛想のよい子供などそれほどいなかった。
遊び盛りの子を無理やり働かせ、親は余裕の無い顔を子供に隠すことをしない。
さらに言えば、私は言葉通り【闇の娘】であった。
私には【影】が無いのだ。
物心ついた頃に母親に指摘されたのだ。
そのときの母親の、なんともいえない表情は未だに忘れられない。
外を歩いても、家の中を歩いても
日がどんなに照らし、傾いても、
私の後ろに影はついてこないのだ。
ただ煌煌と照らされた大地が、私を見つめているのだ。
影の無い私に気付いた周囲は、当然のごとく避け始めた。
当然だ。影の無い人間だなんて、モノだなんてありえない。
そこにあるものが日をさえぎってできるものが【影】なのだから
つまりは、そこに【存在しない】ということになる。
私が外を歩くと、人が私を避け、こそりこそりと話をしたものだ。
無理も無い。気味が悪いのはもっともだろう。
私に心の底から怯えないのは、知るところ今私の傍にいる息子とその友人。
かつて出会った[死体喰い]の少女
そして、その[死体喰い]を救い上げようとした金の娘位か。
どの人物も、最近で出会ったものばかりだ。
何はともあれ、かくも不気味な存在である私は実に孤独な存在であった。
両親も腫れ物を扱うような接し方であった。
……よくおとぎ話では、特異な能力を持つ主人公や、カワイソウナ過去を持つ悪役と言うものは
特異な能力を疎まれ強大な力を恐れられ、激しい虐めや過虐的過ぎる扱いを受けているものだが、
実際そんな扱いをしたら報復が怖すぎると思わないだろうか?
恐ろしい相手に積極的に嫌われ殺されたいものなのか、人間は。
普通は適度に媚を売り、自分に害が行き届かないよう【保険】を持つものではないだろうか。
人間どこかで【虐げられたい】と思っているのか、虐げられた主人公が好きだというのだろうか。
だとしたら人類みな背徳的な性癖を持っていると思う。
兎にも角にも、私は皆から当たり障りの無い扱いを受け、乾いた幼少期を送っていた。
特に喧嘩や人と衝突することも無ければ、人と甘美なる青春を送った記憶も無い。
実に平坦すぎる、刺激もなにもない日々であった。
それが一変したのは、私が10の頃か。
丁度ヒトは思春期、といえる時期にあたる。
何故自分は他人と違うのか、他人と自分で何故にこうも違うのか、自分は何なのか。
そういった、哲学的なことを意味もなく、深く深く考えてしまう馬鹿馬鹿しい時期である。
私には何故影が無いのか。
私に他の人のように影があれば、この人生は少しでも潤いのあるものになっていたか?
ああ、影が憎たらしい。
そんな馬鹿らしいことを考え、通りすがりの人の影を踏みつけ、こう思った。
―――こんな影、皆無くなって動かなくなってしまえばいいのに。
すると、その影の本人から耳から脳へ直接突き刺す悲鳴が聞こえた。
なんと、その人物の影は私が踏んだ場所から、黒から青に変わり
そして、影の部分にあたる場所が、凍ってしまっているではないか。
驚いて影から足を離しても、その哀れな人物の足は凍りついたまま、動かなくなってしまっている。
イタイイタイ、と悲痛な声を上げて涙と鼻水を流し、凍った足を押さえつけている。
その悲鳴に誘われ、村中の人が集まり、私を見る。
恐怖と、畏怖と、困惑の瞳。
一番困っているのは私だ。と私は心の中で叫んだものだ。
この事件の後、私は【氷夜の魔女】という実に心をくすぐる名前を頂いた。
さらに人は私に関わろうとせず、乾ききった生活はもはや限界まで乾いてしまっている。
砂漠の中心で一人歩いている。誰も干渉せず、誰も攻撃せず。
そんな生活が続いた。
必要最低限の言葉や、表情は持つことが出来たが、それだけ。
実に
実に
実につまらない幼少期を過ごした。
そして私イツヤは、15のときに、国に呼び出される。
影を踏み、凍り付かせる、氷夜の魔女のうわさが首都で流れたようだ。
小さい国は、こんな辺境のたわごとすらもすぐに伝わってしまうものだろうか。
大きな大人たちが、鎧を着た兵士が、豪勢な服を着た貴族たちが、
私を中心に囲み、こういったのだ
「きみは、本当に氷と影を操ることができるのか」
私は小さくため息をつき、彼らの影を踏んで回ろうと、一歩足を踏み出す。
すると、どういうことであろう。
たった一人の影を踏んだだけだというのに、密集していた所為かなのか。
一瞬で彼らの影は青く変色し、いっせいに下半身まで凍り付いてしまったのだ。
ざわめきと、悲鳴と、後よくわからない声。
私は、大人たちの視線にむかって、やれやれと一つため息をついた。
その日から、私は軍人となった。
触ったことのない剣を振り回し、
読んだことの無い魔術の書を読まされ
関わりたくも無い人間と会話を強要され
挑んだことの無い戦場に立たされ
気がつけば、私は自在に剣を操るようになり
気がつけば、私は氷を自在に操れるようになり
気がつけば、私は効率よく影を踏むことが出来
気がつけば、イツヤ、という名前よりも【氷夜の魔女】と呼ばれることが増え。
気がつけば、私は人を指導することが多くなり
気がつけば、私は人を率いて戦場に立つことが増え
気がつけば、私は20を越える歳となり
気がつけば、私は隊長と呼ばれるようになっていた。
とはいえども、氷夜の魔女である私に近寄るものは少なかった。
指導したり、率いることが増えたといえ、それは上っ面のもの。
ましてや、人と深く接したことが無い私が急に軍人としてのカリスマを備えるはずも無く。
実に乾いた【軍人】ライフを送っていた。
―――人生とは転機の繰り返しである。
とある戦場で、ある少年と出会う。
一夜で壊滅した、わが国の村の生き残り。
私は、彼を引き取ることにした。
深い意味など無い。
私にショタコンの性癖などはない。
同情したわけでもない
ならば、何故彼を引き取ったのか
何故、子育てもしたことが無ければ、恋人もいない。
子供が別段好きではない。
けれど、彼を育てたいと思ったのだ。
それこそ、その場の勢いだったのか?
はたまた、私の気が少し違ったのか?
未だにわからない。
ただ、その少年こそ、私にとっての乞光。
甲夜。夜が明ける合図の光となるのだ。
私はその少年に、コウヤ、と名づけた。